環境・衛生薬学トピックス

“基準値”ってどんな値?

千葉大学大学院薬学研究院 小椋康光
 最近、「首都圏のある食肉加工工場の地下水から基準値を超えるシアン化物が検出された」という報道がありました。この基準値とは、どのような意味を持つ数値で、どのように決められたのでしょうか。
 今回、越えたとされる基準値は、飲料に供される水すなわち水道水の水質基準で定められた値です。水道水の水質基準とは、水道法第4条に基づき厚生労働省令により定められています。水道法第4条第2項に、「シアン、水銀その他の有毒物質を含まないこと。」と明記されています。しかし、シアンは水道水の消毒の過程でも、副生成物として生成することがありますし、天然にも存在する物質です。従って、「含まないこと」ということを「人の健康に影響が無い量」と読み替え、基準値を設定し、基準値を超えないように水質を管理しています。現在、シアンを含め、健康関連31項目(シアン、重金属や有機溶剤など)及び生活上支障関連20項目(pH、臭気や濁度など)の計51項目が水質基準項目として設定され、水道事業者には検査の義務が課されています。
 水質基準におけるシアンとは、青酸カリ(シアン化カリウム)に含まれるシアンイオン塩化シアンをあわせたものと定義されています。シアンイオンは、ほとんど水道水には含まれませんが、工場排水の流入によって混入することがあるとされています。一方、塩化シアンは、水道の塩素消毒クロラミン消毒の副生成物として、発生することが知られています。これらをあわせてシアンとし、現行の基準値では0.01 mg/Lと定めています。1リットルの水に0.01ミリグラムすなわち0.00001グラムです。別の言い方をすると、1円玉1枚(1グラム)を浴槽500杯分の水(浴槽1杯を200 Lとした場合)に入れるのと同じ関係です。この基準値0.01 mg/Lは、以下の根拠に基づいて算定されました。
 ラット(ねずみ)を用いた動物実験から、シアン化ナトリウムが毒性を発揮しない最大の投与量は、1日あたり、体重1 kgあたり4.5 mgと算出されています。この値を無毒性量(NOAEL)といい、シアン化ナトリウムの場合は、4.5 mg/kg/dayと表記します。この数値を基に人に影響を与えない数値を算出するのですが、シアンに対して人とラットでは感受性の違いを考慮しなければいけませんし、人においても体質の違いにより、感受性に相違があることを考慮しなければいけません。またごく限られた動物実験を基にしたデータですので、未だに明らかになっていない毒性を、もしかしたらシアンが有しているかもしれません。これらのことを考慮して、4.5 mg/kg/dayという値を1,000分の1まで下げた値、すなわち4.5 µg/kg/day(マイクログラム[mg]はミリグラム[mg]の1,000分の1の単位)を人が一生涯に渡り摂取し続けても、健康に悪影響が出ない量(これを耐用一日摂取量、TDIといいます)として算出しました。
 人の平均体重を50 kgとした場合、1日あたりに許容できるシアンの量は、4.5 µg/kg/day X 50 kg X 1 day = 225 µgとなります。先にも述べた通り、シアンは天然の食品にも含まれる成分です。特に豆類では、他の食品に比べ多く含まれていることが知られています。従って、1日あたり許容できる225 µgの多くは食品に由来する可能性がありますので、飲料水から摂取する分を10 %と仮定すると、飲料水に許容できるシアンの量は22.5 µgとなります。人が1日あたりに摂取する飲料水の量を2 Lと仮定すると、飲料水すなわち水道水に許容できるシアンの濃度は、11.25 µg/L = 0.01125 mg/L ≒ 0.01 mg/Lが導き出せるわけです。(参照:厚生労働省 水道水質情報 http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/kenkou/suido/kijun/
 さて、今回基準値を超えたとされる地下水のシアンの濃度は、当該食肉加工会社の調査によりますと0.02~0.03 mg/Lと報告されています。我が国のシアンの基準値は上述の通り、0.01 mg/Lですが、世界保健機関(WHO)の水質基準では0.07 mg/L、EUの水質基準では0.05 mg/Lとされています。我が国の基準値は、食習慣なども考慮して0.01 mg/Lに設定されていますので、他国の基準値以内だから問題ないと考える根拠は希薄ではないかと考えられますが、実際に基準値を超えた水を使用して加工された食品からは、シアンは検出されておりません。これらの根拠から、今回の事例で基準値を超えたことが健康上の問題を引き起こす可能性は極めて低いと考えられます。

日本薬学会 環境・衛生部会

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