チョークトークとは   チョークトーク設立の経緯   
                      

 チョークトークは1982年に佐藤 洋先生(当時福島県立医科大学講師、現東北大学大学院医学系研究科教授)によって設立された環境・衛生学分野の若手研究者が集う研究会であり、医学、薬学、歯学、獣医学、保健学、農学、理学など幅広い分野で活躍する若手研究者の交流を目的としたクロースドの学術集会を毎年開催している。学術集会では、参加者全員が同じ宿舎に泊まって発表会および自由討論を行う。かなり厳しい討論が繰り広げられるが、これら討論を通じて参加者の交流促進のみならず意識改革・活性化が図られている。実際に、本会から数多くの共同研究が始まり、また、これまでのメンバーから30名以上の教授が誕生している。若手研究者の会であるので、設立当初は、メンバーは教授になったら脱会するという申し合わせがあった。しかし、教授になっても“自称若手”として研究会に参加し続けているシニアメンバーも多い。最近では、研究会に出席する大学院生をはじめとする若手研究者が他大学の教授等と気楽に話ができる貴重な場ともなっており、シニアメンバーが参加することによって、各学会の若手研究者を対象とした奨励賞等や教員人事の情報も集まりやすくなり、また中堅メンバーがこれらに応募する際のシニアメンバーによる推薦も積極的に行われている。



・チョークトークという言葉の意味(American Heritage Dictionary)   
・Chalk Talk: A lecture, often informal, illustrated with diagrams chalked on a blackboard. 


  
 
[日本衛生学雑誌(62巻3号881-887、2007)に掲載された佐藤 洋先生の総説から抜粋(一部改変)]

佐藤 洋(東北大学大学院医学系研究科教授)

 私が若い頃には、学会活動とは異なる独自の研究会を設立して同世代の研究者との交流を図っていた。その組織は、チョークトークと呼ばれていた。
 言葉の意味としてはチョークトークは、インフォーマルなセミナーのようなもので、スライドではなく黒板にチョークで図などを書きながら研究のアイディアや途中経過を話すものだと思われる(上記表参照)。そんな雰囲気の研究会を立ち上げたのは、福島県立医科大学にいた頃であった。「教授のようなうっとうしいのを排除して実際に手を動かしているものが集まって、まだ出来上がっていない研究の話を肴に(温泉地で)酒を飲み明かす」と言うコンセプトであった。そのような呼びかけをしたところ、10 数名が飯坂温泉(福島市)に集まってくれた。もちろん手弁当である。そこで、飲みながら自分の研究の夢を語り、翌日も朝から研究の話をして、その日の昼過ぎに大満足でわかれた記憶がある。その会合は翌年から夏に定期的に開催されるようになった。世話人のようなことをしばらくしていたが、その後も重金属の中毒学や関連領域の若手の研究者が毎年継続して会合を開催してくれており、2006年には、なんと海外(済州島)での開催となったそうである。
 なぜ、こんなことを考えたのか? それはロチェスターにいた時の経験による。確かEPA に就職したばかりの卒業生が夏休みだかに戻ってきてセミナーをしてくれたが、スライドや資料でなく黒板に図を書きながら自分のやっていることを楽しそうに語ってくれた。そう言うセミナーをチョークトークと言うのだとはじめて聞いたが、若い研究者が積極的に発表している姿は羨ましく見えた。また、その他のセミナーや学会発表でも、若い研究者がどんどん議論を挑んで行く姿を何度も見た。日本の学会では、その当時は若い研究者はあまり発言せずに、大家ばかりが議論している姿が目立った。そこで若い研究者が自由に楽しく討論できる場を作ろうと考えたのである。それが共感を呼んだのだと思われるが、現在まで25 年以上も続いていることについて、基を築いた者としては大変嬉しく思っている。もちろん、「うっとうしいの」になってしまった私は参加を遠慮している。
 このチョークトークは、別な場所でも広がりを持った。すなわち、参加者間でのコミュニケーションが非常に良くなって、方法論で相談し合ったり、文献探しで書誌情報等を聞くことが出来たり、あるいは自分や後輩の留学について相談したり、様々なことが電話一本で用事が足りるようになった。現在だとメイル一通で、と言うことになるかもしれない。
 こういう仲間同士の非公式な交流組織のことを、"invisible institute"と言うのだそうである。外国ではそう言った交流が良く行われていると言われている。国際学会に出席すると、ある問題に対する見方や評価などにコンセンサスレポートが出されたり宣言が出されたり、あるいはそうでなくとも議論の前提としてあるコンセンサスがあるように感じられることもあるが、"invisible institute"で検討された結果だと言われる。そのようなことが良いのかどうかは意見が分かれるかもしれないが、我々自身の"invisible institute"無しで外国勢に立ち向かうのは困難であることは間違いない。