環境・衛生薬学トピックス

認知症のリスク要因としての糖尿病

摂南大学薬学部 奥野智史
 わが国では、現在、糖尿病が強く疑われる人は950万人、糖尿病の可能性を否定できない人(糖尿病予備軍)は1,100万人いると推定されており、それらの割合は高齢になるほど増加します1)糖尿病は、インスリンの作用不足による慢性の高血糖状態を主徴とする代謝疾患群で、大きく1型糖尿病と2型糖尿病に分けられます。食事により血液中のブドウ糖の濃度(血糖値)が上昇しますが、インスリンには、肝臓や骨格筋などへの糖の取り込みを促進させ、血糖値を下げる働きがあります。1型糖尿病では、自己免疫の異常によりインスリンをつくる膵臓のランゲルハンス島β細胞が破壊され、分泌されるインスリンの量が絶対的に不足し、高血糖になります。一方、糖尿病患者のほとんどを占める2型糖尿病では、持続的な高カロリーや糖質過多の食事によって、肝臓や骨格筋は次第にインスリンが効きにくい状態(インスリン抵抗性)になります。それを補うために膵臓からのインスリン分泌が促進された結果、次第に膵臓が疲弊して十分なインスリンを分泌できなくなり、高血糖の状態が続きます。糖尿病予備軍でも、インスリン抵抗性耐糖能異常(血糖値を正常に保つ働きに異常があり、糖尿病ほどではないが血糖値が高い状態)などの病態がみられます。近年、疫学的研究により、耐糖能異常糖尿病が血管性認知症やアルツハイマー型認知症(アルツハイマー病、AD)の後天的な危険因子であることが示されたことから2)糖尿病認知症との関連性が注目されています。
 血管性認知症は、脳血管障害が原因で脳への血液供給が十分にできないために起こる認知機能障害です。糖尿病では、高血糖による慢性的な酸化ストレスや炎症が脳血管障害を生じ、血管性認知症の発症を助長すると考えられています。一方、ADの発症機序はいまだ明らかにされていませんが、その仮説の1つとして、老人斑(アミロイドβ(Aβ)と呼ばれるたんぱく質が蓄積・凝集したもの)や神経原線維変化などの病理変化が出現し、それに伴う神経細胞死から脳が萎縮して起こると考えられています。これまでに、耐糖能異常、とくに末梢のインスリン抵抗性が老人斑の形成に関与することが疫学的に示されている3)ことから、末梢のインスリン抵抗性が脳内のAβの産生系またはその分解・消失系に何らかの影響を及ぼし、老人斑の形成を惹起すると推察されています。しかし、糖尿病は老人斑の集積レベルを変化させないという別の疫学調査報告4)もあり、末梢のインスリン抵抗性と老人斑の形成との関連性については、今後さらなる研究が必要です。
 糖尿病とAD様認知機能障害を同時に発症する病態モデルマウス(糖尿病合併ADモデルマウス)では、従来のADモデルマウスに比べて認知機能障害が早期に認められるだけでなく、脳血管へのAβの蓄積が顕著に多いことがわかっています5)。このような脳血管でのAβ蓄積は脳の循環不全を引き起こし、脳実質に蓄積されたAβの血管内腔への排出を抑制したり、神経細胞でのAβ産生に関わる酵素を誘導したりする可能性があり、最終的には脳内のAβ蓄積や老人班の形成などにつながるかもしれません。その一方で、糖尿病合併ADモデルマウスにおいて、脳でのインスリン量の減少とインスリン・シグナル系の抑制によるインスリン抵抗性が認められています5)。脳内でインスリンは、インスリン・シグナル系を介して神経細胞死を抑制するだけでなく、神経突起の伸長や枝分かれを促進することが知られており6)、記憶や学習を司る海馬などの神経細胞の機能維持において重要な役割を担っているといわれています。そのため、糖尿病合併ADモデルマウスの脳内でみられたインスリンの減少やインスリン抵抗性は、糖尿病によるAD様認知機能障害の発現促進と密接に関連することが考えられます。なお、糖尿病の病態は、末梢から脳内への脳血液関門を介したインスリン移行を低下させると考えられており、糖尿病はAD患者の脳内インスリン量をより減少させる要因となる可能性があります。重症のAD患者では、健常人に比べて末梢のインスリン濃度が高く、脳脊髄液のインスリン濃度が低いことも指摘されています7)。さらに、AD患者の脳では、インスリン作用に関わる遺伝子の発現が低下していることが明らかにされています8)。このような動物実験やAD患者を対象とした疫学調査の結果から、糖尿病とADの病態にはいずれも脳内のインスリンの働きを減弱するという共通点があり、相加的あるいは相乗的に認知機能障害を増悪化させていることが考えられます。そこで、ADの予防や治療法として、最近、鼻粘膜から脳血液に直接インスリンを到達させる点鼻インスリン療法の有効性が検討されており、インスリンには認知機能の低下を遅延させる効果があると報告されています9)
 糖尿病だけでなく、糖尿病予備軍に認められる潜在的なインスリン抵抗性耐糖能異常であっても、認知症の発症やその病態を増悪化させる可能性があります。肥満、とくに内臓脂肪型肥満ではインスリンの働きが悪くなり、血糖値が高くなりやすいことが知られています。まずは、一人一人が食生活の改善や適度な運動を行うなど生活習慣を見直し、糖尿病による認知症の予防を心掛けることが重要であると考えます。現時点では、糖尿病予備軍の積極的な血糖コントロールが認知症の最善の予防策ですが、今後、糖尿病による認知症進展の分子機序が解明され、新たな認知症の予防や治療に向けた新規医薬品の開発が期待されます。

 キーワード: 糖尿病、認知症、インスリン抵抗性、耐糖能異常

【参考資料・文献】

1)厚労省ホームページ. “平成24年国民健康・栄養調査報告”:
<http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/eiyou/dl/h24-houkoku.pdf>

2)佐々木健介, 松崎尊信, 本田裕之, 鈴木諭, 岩城徹, アルツハイマー病と耐糖能異常:久山町認知症研究, 老齢期認知症研究会誌, 18, 20-24 (2011)

3)Matsuzaki T, Sasaki K, Tanizaki Y, Hata J, Fujimi K, Matsui Y, Sekita A, Suzuki SO, Kanba S, Kiyohara Y, Iwaki T. Insulin resistance is associated with the pathology of Alzheimer disease: the Hisayama study. Neurology, 75, 764-770 (2010)

4)Beeri MS, Silverman JM, Davis KL, Marin D, Grossman HZ, Schmeidler J, Purohit DP, Perl DP, Davidson M, Mohs RC, Haroutunian V. Type 2 diabetes is negatively associated with Alzheimer's disease neuropathology. J Gerontol A Biol Sci Med Sci., 60, 471-475 (2005)

5)Takeda S, Sato N, Uchio-Yamada K, Sawada K, Kunieda T, Takeuchi D, Kurinami H, Shinohara M, Rakugi H, Morishita R. Diabetes-accelerated memory dysfunction via cerebrovascular inflammation and Abeta deposition in an Alzheimer mouse model with diabetes. Proc Natl Acad Sci USA, 107, 7036-7041 (2010)

6)Lee CC1, Huang CC, Hsu KS. Insulin promotes dendritic spine and synapse formation by the PI3K/Akt/mTOR and Rac1 signaling pathways. Neuropharmacology, 61, 867-879 (2011)

7)Craft S, Peskind E, Schwartz MW, Schellenberg GD, Raskind M, Porte D Jr. Cerebrospinal fluid and plasma insulin levels in Alzheimer's disease. Neurology, 50, 164-169 (1998)

8)Hokama M, Oka S, Leon J, Ninomiya T, Honda H, Sasaki K, Iwaki T, Ohara T, Sasaki T, LaFerla FM, Kiyohara Y, Nakabeppu Y. Altered expression of diabetes-related genes in Alzheimer's disease brains: the Hisayama study. Cereb Cortex, 24, 2476-2488 (2014)

9)Craft S, Baker LD, Montine TJ, Minoshima S, Watson GS, Claxton A, Arbuckle M, Callaghan M, Tsai E, Plymate SR, Green PS, Leverenz J, Cross D, Gerton B. Intranasal insulin therapy for Alzheimer disease and amnestic mild cognitive impairment: a pilot clinical trial. Arch Neurol, 69, 29-38 (2012)

日本薬学会 環境・衛生部会

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