環境・衛生薬学トピックス

環境化学物質とアトピー

(独)国立環境研究所 井上健一郎
 この10数年、日本ではアトピー性(アレルギー)疾患を発症する人が急増しています。アトピー性疾患発症・増悪の原因には遺伝要因と環境要因とがあります。遺伝要因はアトピー素因(体質)といわれ、アレルギー反応・症状に関係する血清タンパク(免疫グロブリン)である“IgE抗体”を体内で産生しやすい素因で、同反応・症状を起こしやすくする遺伝子(アトピー遺伝子)が関与しているといわれています。一方環境要因としては、発症の直接の引き金となる因子(原因因子)と、発症を高めるように働く因子(寄与因子)があります。原因因子には、いわゆる“抗原”となりうる花粉、ダニ・ハウスダスト、室内ペットフケや卵・牛乳・肉類、抗生物質等が含まれます。寄与因子としては、衛生環境の変化(寄生虫疾患の減少)、大気汚染、食生活の変化(高タンパク食、高脂肪食)、ストレス、あるいはウィルス感染等があげられます。人間の遺伝子は何万年もかかって変化するものなので、例えば鎌倉時代の人たちと私たちに遺伝子レベルの違いはほとんどありません。ですから近年になって急に増えた病気があるとすれば、その原因は遺伝要因よりも環境要因が大きく関係していると想像できます。この環境要因に含まれる重要な因子の1つとして、化学物質が考えられています。ホルムアルデヒドやトルエン、キシレンなど、私たちを取り巻く空気中には多くの化学物質が存在しています。また居住環境や食環境の変化により、建材の防腐や防虫を企図した化学物質や食品の添加物や防腐剤、着色料等に含まれる化学物質も増えています。
 環境中の化学物質は、“環境ホルモン(内分泌攪乱物質)”の概念もあって、特にその内分泌・生殖器系への毒性がこれまで研究・報告されてきました。しかし近年、「シックハウス症候群」「シックスクール症候群」といった疾患の増加へのこれら環境化学物質の関与も示唆されています。アトピー体質の人はシックハウス症候群にかかりやすい一方、シックハウス症候群の患者さんは高い確率でアトピー性疾患が合併することも知られています。つまり、化学物質は内分泌・生殖器系、免疫・アレルギー系を含んだいわゆる「高次機能」を攪乱し悪影響を与える可能性が考えられます。事実これら環境中の化学物質が、何らかの形で私たちの体に影響を与え、それがアトピー性疾患の悪化要因として関わっていることが分かってきました。
 フタル酸エステル類の生産量で多くのシェアを占めるフタル酸ジエチルヘキシル (di-[2ethylhexyl]phthalate: DEHP)は、ポリ塩化ビニル製品の可塑剤(ある材料に対して柔軟性を与えたり、加工しやすくするために添加する物質)として、建材、電線被覆、一般用フィルムシート、家電製品等、幅広い用途で使用されている化学物質です。本化学物質は、従来の内分泌・生殖器系への攪乱作用に加えて、アトピー性疾患の発症誘発、促進作用をもつことが疫学調査等で指摘されています。また我々のグループは、アトピー性皮膚炎を発症しやすいマウスを用いて、DEHPの全身曝露が同皮膚炎を増悪しうることを明らかにしました1)。更に我々は、別のフタル酸エステルであるフタル酸ジイソノニル(di-isononyl phthalate: DINP)も、同様にアトピー性皮膚炎病態を増悪させる傾向があることを確認し、その増悪メカニズムとしてDINPが、アレルギー反応において重要な役割を担う抗原提示細胞を不適切に活性化してしまうこともin vitroで明らかにしています2)
 このようにある種の環境化学物質に関して、疫学調査のみならず、動物個体レベルや組織・細胞レベルでアトピー性疾患を増悪しうる研究データが積み上げられつつあります。これらアトピー性疾患への促進作用をもつ環境化学物質の評価研究は、今後の同疾患制圧への一助となるかもしれません。

【参考資料・文献】
1) Takano H, et al. Di-(2-ethylhexyl) phthalate enhances atopic dermatitis-like skin lesions in mice. Environ Health Perspect 2006; 114: 1266-1269.
2) Koike E, et al. Effects of di-isononyl phthalate on atopic dermatitis in vivo and immunological responses in vitro. Environ Health Perspect (in press)

日本薬学会 環境・衛生部会

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