環境・衛生薬学トピックス

ナノマテリアルの健康影響とナノトキシコロジー

独立行政法人国立環境研究所RCER 平野靖史郎
 ナノマテリアルは、意図的に生産された粒径が1-100nmのナノサイズの粒子状物質(ナノ粒子)、あるいはナノサイズの構造を持つ物質(非常に薄いシート状の物質なども含まれます)のことです。 インフルエンザウイルスの直径が100nmくらいですから、ナノマテリアルの粒径や基本構造の大きさは、インフルエンザウイルスと同程度かそれよりももっと小さくなります。 経済協力開発機構(Organization for Economic Co-operation and Development (OECD))は、化学物質等の安全性テストガイドラインを提示する国際機関であり、健康影響を評価すべき優先物質として、当初、以下の14物質のナノマテリアルを選択しました(カーボンブラック、フラーレン、単層カーボンナノチューブ、多層カーボンナノチューブ、鉄ナノ粒子、銀ナノ粒子、酸化セリウム、酸化亜鉛、酸化アルミニウム、二酸化チタン、デンドリマー、ポリスチレン、二酸化ケイ素、ナノクレー)1)。 その後、金ナノ粒子がリストに加えられ、カーボンブラックとポリスチレンは外されましたので、現在は対象物質数が13となっています。これらの中で、酸化チタン、銀ナノ粒子とカーボンナノチューブの健康影響に関しては、欧米を中心として議論が高まっています。
 酸化チタンは、日焼け止め化粧品として広く使われていますし、建材などにも多く用いられています。 また、銀イオンには強い殺菌効果があることから、銀ナノ粒子はデオドラントスプレーをはじめとする日常用品に多用されています。一方、カーボンナノチューブは、機械的強度に優れ、電気伝導性も高いことから大量生産が見込まれている物質ですが、今のところヒトに直接用いられることはないと考えられます。 酸化チタンは、影響の少ない粒子状物質として、シリカやアスベストの毒性研究における対照粒子として用いられて来ましたが、粒径がナノサイズになり比表面積(単位重量当たりの表面積)が大きくなると高い毒性を示すことが報告されてから、その安全性に疑問が持たれるようになりました2)。 銀は貴金属でありますが、ナノサイズになると粒子表面での反応性が増し、重金属としての影響が出るのではないかと危惧されます。 また、カーボンナノチューブは、生物難分解性の繊維状粒子であり、マウスやラットにおいて強い肺の線維化が起きることや3, 4)、マウスにおいて腹膜中皮腫を起こすことが報告されたことから5)、アスベストと同様の生体作用があるのではないかと危惧されています。
 ところで、OECDが選択した上記ナノマテリアルは、化学物質としては炭素、金属、セラミックス等であり、決して新規物質というわけではありません。それでは、なぜ、ナノマテリアルの健康影響が今問題視されているのでしょうか。ナノサイズの粒子状物質の比表面積は極めて高く、細胞膜やタンパク質等と強い生体反応を起こす可能性があることが、理由の一つとして考えられます。 その他、ナノサイズの粒子状物質でも、特に34nm以下の粒子には極めて高い組織透過性があり容易に体内侵襲が起こること6)、粒子が微小であり生体防御機構を担っているマクロファージなどの貪食細胞により認識されにくいことなどがあげられます。 一方では、貪食細胞に認識を受けにくいことを利用して、ナノサイズの粒子を用いて効率よく標的細胞に薬剤を到達させるシステムの開発も進められています。
 ナノマテリアルの生体影響評価においては、化学的性質のみならず物性という概念を持ち込む必要があります。 物性に基づく生体反応を専門的に研究するために、毒性学においてもナノトキシコロジーという新しい学問分野が生まれました。

【参考資料】
1) OECD: Sponsorship Programme for the Testing of Manufactured Nanomaterials
http://www.oecd.org/document/47/0,3746,en_2649_37015404_41197295_1_1_1_1,00.html
2) G. Oberdorster, E. Oberdorster,J. Oberdorster: Nanotoxicology: an emerging discipline evolving from studies of ultrafine particles, Environ Health Perspect, 113,823-39 (2005)
3) C. W. Lam, J. T. James, R. McCluskey,R. L. Hunter: Pulmonary toxicity of single-wall carbon nanotubes in mice 7 and 90 days after intratracheal instillation, Toxicol Sci, 77,126-34 (2004)
4) D. B. Warheit, B. R. Laurence, K. L. Reed, D. H. Roach, G. A. Reynolds,T. R. Webb: Comparative pulmonary toxicity assessment of single-wall carbon nanotubes in rats, Toxicol Sci, 77,117-25 (2004)
5) Y. Sakamoto, D. Nakae, N. Fukumori, K. Tayama, A. Maekawa, K. Imai, A. Hirose, T. Nishimura, N. Ohashi,A. Ogata: Induction of mesothelioma by a single intrascrotal administration of multi-wall carbon nanotube in intact male Fischer 344 rats, J Toxicol Sci, 34,65-76 (2009)
6) H. S. Choi, Y. Ashitate, J. H. Lee, S. H. Kim, A. Matsui, N. Insin, M. G. Bawendi, M. Semmler-Behnke, J. V. Frangioni,A. Tsuda: Rapid translocation of nanoparticles from the lung airspaces to the body, Nat Biotechnol, 28,1300-3 (2010)

日本薬学会 環境・衛生部会

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