環境・衛生薬学トピックス

NDM-1産生多剤耐性菌

大阪大学大学院工学研究科 井上大介
 2010年夏に、ニューデリー・メタロ-β-ラクタマーゼ(NDM-1)を産生する新型の多剤耐性菌(複数の抗生物質が効かない細菌)の感染が拡大していることが大々的に報じられました。カルバペネム系抗生物質等のβ-ラクタム系抗生物質は、多くの多剤耐性菌に極めて有効であるとされてきました。しかし、メタロ-β-ラクタマーゼ(MBL)という酵素は、このβ-ラクタム系抗生物質を分解し、無効化してしまいます。NDM-1は、このMBLの一種であり、インドで医療行為を受けて帰国したスウェーデン人から分離された大腸菌や肺炎桿菌において最近発見されました1)。その後、南アジア(インド、パキスタン)や英国における感染調査の結果、インド、パキスタンの尿路感染症や肺炎などの患者からNDM-1を産生する多剤耐性菌が検出され、英国でも過去1年間にインドやパキスタンへの渡航歴やそこでの入院歴のある患者を中心に感染が確認されました2)。これらの他にも、ヨーロッパ各国や米国など世界各地で感染が確認されてきており、感染被害が世界規模に拡大しつつあります。日本国内では、これまでに3人の患者からNDM-1産生多剤耐性菌が確認されています3)。その内1例はインド帰国者(同国で医療機関を受診)であり、同国での感染が疑われますが、残り2例は最近の海外渡航歴がなく感染経路は不明とされています。なお、いずれも感染者からの感染拡大は認められていません。
 MBLを産生する菌はこれまでに多数報告されてきました。それなのに、NDM-1産生菌が大きな社会問題として取り上げられた第一の理由は、従来知られていたMBL産生菌が主に緑膿菌やアシネトバクターといった日和見感染菌に認められていたのに対し、NDM-1産生菌が大腸菌や肺炎桿菌などの腸内細菌から多く分離されたということにあります。腸内細菌は人の腸管内に定着しやすいため、院内感染に止まらず、市中でも蔓延していく可能性があります。さらに、NDM-1遺伝子がプラスミドDNA上にあることも重要な点です。プラスミドDNAは、染色体DNAとは別に存在し自律的に複製するDNAであり、染色体DNAと同様に細胞分裂時に娘細胞に分配される他、細胞分裂を介さずに接合伝達によって異種細胞に伝播することもあります。プラスミドには抗生物質や重金属に対する耐性や環境汚染化学物質分解能などに関わる遺伝子がコードされていることが多く、通常の微生物には生存困難な特殊環境への適応性を宿主に与えています。このため、プラスミドは抗生物質耐性遺伝子の蔓延化に大きく寄与しているといえます。NDM-1遺伝子もプラスミド上にあるため、接合伝達を介して様々な細菌種に拡がり易いと考えられ、強毒性菌がNDM-1遺伝子を受け取り多剤耐性化していく可能性も懸念されます。実際、ごく最近に報告されたインド・ニューデリーの水道水や水たまりでのNDM-1産生菌を調査では、水道水の4%(2/50試料)、水たまりの約30%(51/171試料)にNDM-1遺伝子をもつ菌が存在していることが明らかになりました4)。さらに、この調査で発見されたNDM-1産生菌の中には、腸内細菌だけでなく、Shigella boydii(赤痢菌)やVibrio cholerae(コレラ菌)といった病原菌も僅かながら含まれていました4)。つまり、自然界でのNDM-1産生菌の蔓延、高毒性菌のNDM-1遺伝子獲得・多剤耐性化という危惧すべき状況が現実に起こりつつあるといえます。
 NDM-1産生菌感染によって引き起こされる病気は様々であり、腸内細菌の場合には尿路感染症や敗血症などが生じると報告されています。症状は引き起こされた病気に依存するため、軽症から重症まで様々です。また、これまでに実施された薬剤感受性試験から、国内では未承認ではあるものの、チゲサイクリンやコリスチンという抗生物質が多くのNDM-1産生菌に強い抗菌活性を示すことが確認されています。
 現時点では、インド・ニューデリー以外の国・地域の自然環境中におけるNDM-1産生菌汚染の状況は明らかになっていませんが、広域調査による汚染実態解明が喫緊の課題といえます。また、当然のことながら、拡散防止対策を早急に進めていくことが必要です。NDM-1産生菌への感染は主に接触感染といわれているため、手洗いや消毒など標準的な予防策を徹底することで感染拡大を抑えることができるようです。それにもかかわらずこのような事態に発展した根底には、NDM-1産生菌の発端となった南アジアの医療現場での衛生管理不徹底や上下水道の未整備という問題があり、NDM-1産生多剤耐性菌パンデミックの抑制・収束には、それらの改善が不可欠といえます。また、今回のような未知の微生物リスクの発生・拡散を未然に防ぐために、今後、新興国・途上国全体で衛生管理の強化と上下水道の整備が進んでいくことが強く望まれます 。

【参考資料】
1) Yong D. et al. Characterization of a new metallo-β-lactamase gene, blaNDM-1, and a novel erythromycin esterase gene carried on a unique genetic structure in Klebsiella pneumoniae sequence type 14 from India. Antimicrob. Agents Chemother. 53, 5046-5054 (2009)
2) Kumarasamy K.K. et al. Emergence of a new antibiotic resistance mechanism in India, Pakistan, and the UK: a molecular, biological, and epidemiological study. Lancet Infect. Dis. 10, 597-602 (2010)
3) 厚生労働省. 「我が国における新たな多剤耐性菌の実態調査」の結果について
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou19/multidrug-resistant-bacteria.html
4) Walsh T. R. et al. Dissemination of NDM-1 positive bacteria in the New Delhi environment and its implications for human health: an environmental point prevalence study. Lancet Infect. Dis. 11, 355-362 (2011)

日本薬学会 環境・衛生部会

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