環境・衛生薬学トピックス
ナイアシンの新旧局面
~新たな作用によって拓かれた新薬開発の可能性~
富山大学大学院医学薬学研究部 田渕 明子
ナイアシンは、広義ではニコチン酸とニコチンアミドの総称であり、水溶性ビタミンであるビタミンB群に属しています1)。ナイアシンが欠乏すると、イタリア語で“皮膚”(pella)と“荒い”(agra)を意味するペラグラを起こすことが知られていますが、その症状として皮膚炎(dermatitis)の他に下痢(diarrhea)、精神神経障害(dementia)が挙げられることから、3D症とも呼ばれています1)2)。ビタミン欠乏症は過去の病ではなく、飽食の現代社会においても認められています。ナイアシン欠乏症に関してはアルコール常用者に発症するケースがあり、極端な偏食によっても発症する危険性があることから1)2)、栄養バランスの整った食生活がその予防に重要です。食品として摂取されたナイアシンは主に小腸から吸収され、体内でニコチンアミドアデニンジヌクレオチド(NAD)、ニコチンアミドアデニンジヌクレオチドリン酸(NADP)という物質に変わり、機能を発揮することが知られています1)2)。最も良く知られている生理作用は、細胞の中でエネルギー源となる物質を作り出すことやアルコール等を代謝するために働く酵素タンパク質の補助(補酵素)としての作用です1)2)。例えば、乳酸脱水素酵素3)やアルコール脱水素酵素1)2)が挙げられます。また、P450と呼ばれる一連の薬物代謝酵素はNADPを利用しますので、生命活動の維持だけではなく、薬の代謝においても重要であることが示されています4)。
このようにナイアシンは古くから重要なビタミンであることは認識されていました。しかし近年、新たにNADを要求することが明らかとなった酵素であるサーチュイン(sirtuin)が注目され、ナイアシンの新たな作用が見いだされつつあります。サーチュインは、NAD依存性脱アセチル化酵素であり、その役割は種々のタンパク質に結合しているアセチル基を外して、そのタンパク質の制御を行う点にあります5)。サーチュインは、ヒストンタンパク質を脱アセチル化して、遺伝子発現の制御に関わる他5)6)、エネルギー産生調節の場であるミトコンドリアの酵素群を脱アセチル化して活性調節を行うこと5)などが報告されています。また、動物実験により、サーチュインの生理機能の詳細な研究が展開されています。例えば、ある種のサーチュインが機能しなくなった動物では、記憶能力の低下7)、老化様症状5)を示すという報告があります。さらにサーチュインは、アルツハイマー病の病理学的変化を抑制する可能性が示唆されています8)。以上のような研究結果から、サーチュインは老化防止などの良い働きをしていることが示唆されます。
それでは、ナイアシンを積極的に大量摂取し続けることが健康の維持や向上に直結するのかというと必ずしもそうではありません。厚生労働省の2010年版日本人の食事摂取基準では、ナイアシンに該当するニコチン酸やニコチンアミドの耐用上限量(ある母集団に属するほとんどすべての人々が、健康障害をもたらす危険がないとみなされる習慣的な摂取量の上限を与える量)が設定されており9)、サプリメントなどの過剰な摂取は避けた方がよいでしょう。ナイアシンは、たらこ、かつおなどの魚やレバー、らっかせいなどに含まれており1)2)、日頃からこのような食品をとりいれながらバランスの整った食生活を意識することが肝要です。
また、サーチュインの機能が解明されていく中で、サーチュインを標的とした薬開発が米国を中心として盛んになっています10)。つまり、サーチュイン活性化剤の開発です。サーチュイン遺伝子はほ乳動物で少なくとも7種類(Sirt1~Sirt7)存在していますが、SIRT1タンパク質を活性化する化合物が合成され、まずは代謝・炎症性疾患などに適用しようとしています10)。この化合物に関しては、すでに臨床試験が進行中です10)。このようにNAD依存性酵素としてのサーチュインの発見は、ナイアシンの新たな作用を浮かび上がらせただけでなく、新薬開発に大きく貢献しました。これは、分子の機能解明が分子標的薬の開発に結びつくという分子生物学と薬学との接点を示す典型的で理想的な事例です。もしかするとNADによって制御される分子がまた新たに登場して、ナイアシンの生物学的研究に新風を吹き込むかもしれません。
【参考資料・文献】
1) | 日本ビタミン学会(編集) 「ビタミン総合事典」(朝倉書店) |
2) | 日本ビタミン学会(編集) 「ビタミンの事典」(朝倉書店) |
3) | 今堀和友、山川民夫(監修)、大島泰郎、鈴木紘一、脊山洋右、新井洋由、石浦章一、大隅良典、岸本健雄、正木春彦、山本一夫(編集) 「生化学辞典 第4版」(東京化学同人) |
4) | 新井洋由、早川和一(編集) 「衛生薬学—健康と環境—」(廣川書店) |
5) | 今井眞一郎、Leonard P. Guarente (企画)「代謝と老化・寿命を結ぶサーチュイン研究の最前線」実験医学28 (19): 3058-3200 (2010) |
6) | Zhang T et al., SIRT1-dependent regulation of chromatin and transcription: Linking NAD+ metabolism and signaling to the control of cellular functions. Biochim. Biochys. Acta. 1804 (8): 1666-1675 (2010) |
7) | Gao J et al., A novel pathway regulates memory and plasticity via SIRT1 and miR-134. Nature 466 (7310): 1105-1109 (2010) |
8) | Donmez G et al., SIRT1 suppresses beta-amyloid production by activating the alpha-secretase gene ADAM10. Cell 142 (2): 320-332 (2010) |
9) | 厚生労働省「日本人の食事摂取基準」(2010年版) http://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/05/s0529-4.html http://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/05/dl/s0529-4r.pdf |
10) | George P. Vlasuk 「特別インタビュー 老化・メタボリズムの解明と創薬への挑戦」実験医学29 (3): 454-462 (2011) |
日本薬学会 環境・衛生部会