環境・衛生薬学トピックス

献血におけるシャーガス病対策について

昭和薬科大学 衛生化学研究室 徳本 真紀
 2013年11月、ヒト免疫不全ウィルス (HIV) 感染者から献血された血液が輸血に使用され、HIVの二次感染が発生しました。日本赤十字社では献血受付者に対してHIV感染リスク行為に対する問診を設け、供与された血液中のHIV抗体検査および核酸増幅検査を実施しています。しかし、問診に虚偽の解答があったこと、感染初期でウィルスの検出が困難だったことから感染事故を未然に防ぐことができませんでした。また、同年8月、シャーガス病罹患者から献血された血液が輸血に使用されていたことが発覚しました。幸いにも二次感染者は確認されていませんが、献血からの感染リスクが相次いで報告され話題となりました。ところで、あまり聞き慣れないシャーガス病とは一体どんな疾患なのでしょうか。また、日本ではどのような対策がなされているのでしょうか。
 シャーガス病は、原虫クルーズ トリパノソーマ (Trypanosoma cruzi: T. cruzi) を感染源とする中南米の風土病として1909年にシャーガスにより報告されました1)。中南米の農村部や貧困地域には泥やレンガ、草ぶき屋根でできた家が多く、そこにできたひび割れや隙間はT. cruziの媒介昆虫であるサシガメ(カメムシ目)の絶好の隠れ家となります。サシガメは世界中に分布しており、昆虫などを捕食する種やほ乳類等から吸血する種が存在しますが、大部分はシャーガス病に対しては無害です。しかし、中南米に生息する吸血性サシガメの一部の種はT. cruziに寄生され、シャーガス病の蔓延を誘導していることが知られています。サシガメには吸血と同時に糞をする習性がありますが、サシガメに寄生したT. cruziはその糞中に多量に排泄されるため、サシガメの糞を吸い込んだり、糞に触った手で傷口や粘膜に触れたりすることによりT. cruziに感染します2-4)。また、母子感染や輸血・臓器移植による感染に加え、サシガメの糞に汚染された飲食物の摂取によるT. cruzi感染死亡例も報告されています5)。現在、世界中でおよそ800万人がT. cruziに感染していると推計されており、そのほとんどが中南米で発生しています2, 4)
 シャーガス病は感染の初期であれば治療可能ですが、有効な薬剤は副作用が強い上、これらに耐性を持つT. cruziの出現も報告されています6)。また、感染初期には風邪のような症状が現れますがその後は無症候であることも多いため、感染に気付かないまま慢性期に移行してしまいます。T. cruziは感染細胞内で分裂・増殖した後、血流に乗って各組織に運ばれて新たな細胞に感染します。特に心臓や消化管に好んで寄生するため、T. cruzi 感染者の10~30%が食道や結腸の巨大化、心筋炎などを引き起こし、心不全や心臓破裂で中南米を中心に毎年数万人が死亡しています2-4)。エイズと同様、シャーガス病の潜伏期間は10~30年と長く、慢性期には治療法が無いことから、現在はT. cruzi感染を防ぐことが最も重要な防衛手段となっています。
 近年、交通機関が発達し、人や物資の移動が活発になったことから、中南米の風土病であったシャーガス病が世界に広がりを見せています3, 4)。中南米からの移住者が多い欧米では、2000年代初頭から輸血用血液に対するT. cruzi抗体スクリーニング検査が実施され、対策が行われています。日本では、日本赤十字社が2012年10月からT. cruzi抗体陽性の血液は輸血には使用せず、血液製剤作製に用いるという対策を講じています。さらに2013年4月からは献血希望者に対して、自身および母親の中南米での出生・成育歴および滞在歴の有無に関する問診を設け、献血者の同意のもとでT. cruziの抗体検査を開始しました8)。その結果、T. cruzi抗体陽性の献血液が検出され、当該献血者が2013年4月以前に献血した血液が既に輸血に使用されていたことが発覚しました。日本には中南米からの移民が30万人以上定住し、彼らと中南米への滞在歴のある人を含めると、国内には3,000人以上のT. cruzi感染者が存在すると推測されています7)。しかし、感染者の多くはその事実に気付いていなかったり、またシャーガス病に対する認知度が低いため、医療機関にかかっていても見過ごされていたりする可能性も考えられます。このようにシャーガス病は病識を持つことが難しい感染症であるにも関わらず、日本の献血におけるシャーガス病対策は遅れをとっていたと言えるかもしれません。
 近年のグローバル化社会や気候変動を鑑み、これまで地域性が高いと考えられてきた疾患に対してもその流行状況を把握し、二次感染リスクの迅速な低減対策が求められます。また、このような感染症があることを広く社会に呼びかけることも、公衆衛生の向上に重要であると考えられます。

 キーワード: シャーガス病、クルーズ トリパノソーマ (Trypanosoma cruzi: T. cruzi)、サシガメ

【参考資料・文献】

1)Chagas C 1909. Nova tripanozomiaze humana. Estudos sobre a morfolojia e o ciclo evolutivo do Schizotrypanum cruzi n.gen. n.sp., ajente etiolojico de nova entidade morbida do homem. Mem Inst Oswaldo Cruz 1: 159-218. 

2)WHO. Fact sheet N°340 Chagas disease (American trypanosomiasis)  Updated March 2013
http://www.who.int/mediacentre/factsheets/fs340/en/index.html

3)Nature Outlook: Chagas Disease. 465, 7301 suppl., S3-S22, 2010.

4)Rassi A Jr et al. Chagas disease. Lancet. 375, 1388-402, 2010.

5)Alarcón de Noya B et al. Large urban outbreak of orally acquired acute Chagas disease at a school in Caracas, Venezuela. J. Infect. Dis. 201, 1308-1315, 2010.

6)Jackson Y et al. Tolerance and safety of nifurtimox in patients with chronic Chagas disease. Clin. Infect. Dis. 51, 69-75, 2010.

7)Schmunis GA and Yadon ZE. Chagas disease: a Latin American health problem becoming a world health problem. Acta Trop. 115, 14-21, 2010.

8)日本赤十字社HP: シャーガス病に係る安全対策について
http://www.jrc.or.jp/blood/news/l4/Vcms4_00003218.html

日本薬学会 環境・衛生部会

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