環境・衛生薬学トピックス

新しい職業病としての胆管がん

静岡県立大学薬学部 衛生分子毒性学分野 関本 征史
 2012年3月、大阪府の印刷工場において校正印刷業務等に従事した労働者から、「使用した有機溶剤が原因となって胆管がんが発症した」と労災請求が行われ、大きな社会問題となっています。胆管がんは、肝臓で生成した胆汁を十二指腸へ排出するための導管(胆管)で発生するがんで、50歳未満での発症・死亡がきわめて少ないことが知られていました。しかし、この印刷工場での発症状況は患者の年齢層から考えて異常と考えられたことから調査が始まり、2013年3月には、厚生労働省が胆管がんと業務との因果関係を認め、労災認定や化学物質の規制を行うことになりました。
 
一般的に、特定の職業に就く人が罹患しやすい疾患、いわゆる職業病の原因を科学的に明らかとするために、疫学的調査(コホート研究など)が行われます。産業医大の熊谷博士らは、この印刷工場における化学物質の曝露、作業形態などと労働者・元労働者の健康状態(胆管がん発症状況)の相関を過去に渡って解析した結果、①100-670 ppmの1,2-ジクロロプロパンあるいは80-540 ppmのジクロロメタンに曝露されていたこと、②胆管がんと診断された労働者全員が1,2-ジクロロプロパンに7-17年間、また90%以上の労働者がジクロロメタンに1-13年間、それぞれ曝露されていたこと、③最初の曝露から7-20年後に胆管がんの発症が見られること、などを見いだし、さらに、④この印刷工場労働者の胆管がんによる標準化死亡比(年齢、性別などの偏りを補正して算出した死亡数の比)は一般人(労働者も含めた全ての日本人)に比べて2900倍も大きいことを明らかとしました1)
 動物実験において、マウスにジクロロメタンを吸入曝露させると肺や肝臓にがんを発症します2)1,2-ジクロロプロパンの吸入曝露では、強い遺伝毒性(遺伝子を傷害する性質)が現れることも示されています。さらに、1,2-ジクロロプロパンジクロロメタンを同時に吸入曝露させた場合には、遺伝子の変異頻度が1,2-ジクロロプロパンの単独曝露時に比べて2.6倍増加します3)ジクロロメタンによる発がんのメカニズムについては、より詳細な検討がなされています。ジクロロメタンは肝臓で、シトクロムP450 (CYP2E1)により酸化される経路(CYP経路)と、グルタチオン-S-トランスフェラーゼによりグルタチオン抱合される経路(GST経路)という2種類の経路で代謝されます。Andersenらはマウスを用いたモデル研究から、①ジクロロメタンを飲水投与(250 mg/kg/day)した場合:ほぼ100%がCYP経路により代謝され、肝がんの発生が見られない、②低濃度(2000 ppm)吸入曝露の場合:約20%がGST経路により代謝され、30%のマウスに肝がんが発生する、③高濃度(4000 ppm)吸入曝露の場合:約35%がGST経路により代謝され、80%のマウスに肝がんが発生することを明らかとしました。Andersenらの結果から、ジクロロメタンはCYP経路で代謝された場合には毒性の低い代謝物に変換されるために発がん性を示さず、GST経路で代謝された場合には遺伝毒性を示す活性代謝物へ変換されるために発がん性を示すと解釈することが出来ます4)。これらの結果を労働者に当てはめて考えると、換気が良い印刷工場の労働者では、ごく低濃度のジクロロメタンにしか曝露されないために胆管がんのリスクは低く抑えられていますが、換気が悪い印刷工場の労働者では、胆管がんの発症リスクが増加するものと考えられます。なお、ジクロロメタンをGST経路で代謝するために必要な酵素は、マウスでは肝臓に多く存在する一方、ヒトでは胆管上皮細胞内に局在しています。この差が、ヒトでの胆管がん、マウスでの肝臓がんという違いとして現れているのかもしれません。
 このように、疫学調査と動物実験による検証から、ジクロロメタン1,2-ジクロロプロパンへの長期間、高濃度曝露と胆管がん発症との因果関係が示されました。2014年4月現在、労災認定されている胆管がん患者は30人にのぼり、労災申請している患者も増え続けています5)これまでにも、コールタールによる皮膚がん、染料(芳香族アミン)による膀胱がん、アスベストによる中皮腫など、多くの労働者が「職業性がん」で命を落としています。このような不幸な患者さんが現れないために、雇用側も労働者側も、労働環境の管理に最大限の注意を払うことが重要です。

キーワード: 胆管がん、ジクロロメタン、1,2-ジクロロプロパン

【参考資料・文献】

1) Kumagai S, Kurumatani N, Arimoto A, Ichihara G. Cholangiocarcinoma among offset colour proof-printing workers exposed to 1,2-dichloropropane and/or dichloromethane. Occup Environ Med. 70, 508-10 (2013)

2) National Toxicology Program. NTP Toxicology and Carcinogenesis Studies of Dichloromethane (Methylene Chloride) (CAS No. 75-09-2) in F344/N Rats and B6C3F1 Mice (Inhalation Studies). Natl Toxicol Program Tech Rep Ser. 306, 1-208 (1986)

3) Suzuki T1, Yanagiba Y, Suda M, Wang RS. Assessment of the Genotoxicity of 1,2-Dichloropropane and Dichloromethane after Individual and Co-exposure by Inhalation in Mice. J Occup Health. (2014), DOI: 10.1539/joh.13-0236-OA

4) Andersen ME, Clewell HJ 3rd, Gargas ML, Smith FA, Reitz RH. Physiologically based pharmacokinetics and the risk assessment process for methylene chloride. Toxicol Appl Pharmacol. 87, 185-205 (1987)

5) 2014416 読売新聞記事

日本薬学会 環境・衛生部会

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