環境・衛生薬学トピックス

子供の発達に対する化学物質の安全性評価―新たな試験法の開発を目指して―

国立医薬品食品衛生研究所・薬理部第二室 諫田泰成
 近年、自閉症スペクトラムや注意欠陥多動性障害(ADHD)など発達障害が急速に増加し、大きな社会問題となっています1)。子供の神経系は大人と比べて化学物質に対する感受性が高いことから、発達障害増加の原因の一つとして、胎児期(出生前)から発達期(出生後)において有害な化学物質に曝露されていた可能性が考えられています2)。この時期の化学物質曝露によって引き起こされる神経系に対する有害作用は発達神経毒性と呼ばれており、有機スズ化合物や鉛などの重金属、農薬、PCBなどの環境汚染物質が関与すると考えられています。しかしながら、子供における血中濃度とIQの相関が指摘されている化学物質が報告されているものの3)発達神経毒性試験法はまだ改良する余地が残されており、どの化学物質をどの程度の量で曝露すると発達神経毒性が現れるのかなどは分かっていません。私たちの日常生活では多くの化学物質が使用されています。子供の健康を守るために発達神経毒性試験法の確立が強く望まれています。
 現在、ヨーロッパの経済協力開発機構(OECD)や米国の環境保護庁(EPA)において、妊娠動物を用いる発達神経毒性試験ガイドラインが制定されています4,5)。これは妊娠ラットに化学物質を投与して、生まれてきた子供の行動や学習能力、記憶能力などを調べる方法です。様々な情報が得られる一方で、種差の問題もあり、さらに試験法が複雑で試験期間も長く、コストも1つの化学物質につき1億円程度かかると言われていることから、限られた化学物質に対してしか発達神経毒性評価が実施されていない状況です2)。そこで、多数の化学物質を一度にスクリーニングできるような簡便で低コストの細胞を用いた評価法(in vitro評価法)の開発が期待されています。実際に、in vitro評価系を構築するためにはどの細胞を用いて何を評価するのかが重要となりますが、既に発達神経毒性作用があると分かっている化学物質(陽性対照物質)であっても、その作用メカニズムが十分に明らかになっていないため、様々な化学物質の毒性を評価できるようなin vitro評価系はまだ実現していません。現在、候補となる細胞として、ラット神経細胞、ヒト幹細胞由来の分化細胞、3次元モデルなどが考えられます。また評価指標として、細胞増殖、遊走、分化など中枢神経系の発生に関わる手法とシナプス活動など電気生理学的な手法があり、様々な化学物質の作用が調べられています。  特に、京都大学の山中伸弥教授によって発見されたヒトiPS細胞技術を利用する研究が進んでいます。妊娠動物を用いる発達神経毒性試験では種差の問題がありますが、ヒトiPS細胞技術は、今まで入手が困難であった様々なヒト細胞を作製できますので6)、種差の問題を克服した評価系に発展できる可能性があります。我々もヒトiPS細胞の応用の可能性を検討しており、有機スズ化合物を曝露したところ、ヒト血中に存在しうるnM(ナノモーラー)レベルの有機スズ化合物の曝露により、ミトコンドリアの形態が分裂し、ATP産生などの機能が抑制されることを明らかにしています7)。さらに多くの陽性対照物質を用いることにより、本手法の再現性や信頼性、検出感度などを明らかにする予定です。
 さらに、安全性評価法の実用化に向けて国際協調が重要です。現在、EPA、米国食品医薬品局(FDA)、産業界、アカデミアによって構成された国際コンソーシアムが発足し、様々な陽性対照物質を用いて、ラット胎児由来神経細胞やヒトiPS細胞由来神経細胞を用いて毒性評価が可能な指標を検証しています8)。我々も国際コンソーシアムとの連携のもと、ヒトiPS細胞を用いた神経毒性評価系の予測性、既存の試験法に対する優位性などを調べることにより、新たな試験法として確立を目指しています。
 今後、発達神経毒性の発現メカニズムを解明し、毒性評価に適した指標を開発することにより、新たなin vitro発達神経毒性試験法が提案され、発達期の化学物質の影響を最小化することが期待されます。また、近年、世界的に使用が制限されつつある動物実験の削減にも貢献できると考えられます。


 キーワード: 発達神経毒性、試験法、ヒトiPS細胞

【参考資料・文献】

1)Prevalence of autism spectrum disorders — autism and developmental disabilities monitoring network, 14 sites, United States, 2008. Surveillance Summaries. 61, 1-19 (2012)

2)Landrigan PJ, Lambertini L, Birnbaum LS. A research strategy to discover the environmental causes of autism and neurodevelopmental disabilities. Environ Health Perspect. 120, A258–A260 (2012)

3)Bellinger DC. A strategy for comparing the contributions of environmental chemicals and other risk factors to neurodevelopment of children. Environ Health Perspect. 120, 501-507 (2012)

4)OECD. 2007. OECD guidelines for the testing of chemicals/section 4: health effects. Test No. 426: developmental neurotoxicity study. (http://www.oecd.org/chemicalsafety/testing/37622194.pdf)

5)USEPA. 1998. Health effects guidelines OPPTS 870.6300 developmental neurotoxicity study. EPA 712-C-98-239. (http://nepis.epa.gov/Exe/ZyNET.exe/P100IRWO.TXT?ZyActionD=ZyDocument&Client=EPA&Index=1995+Thru+1999&Docs=&Query=&Time=&EndTime=&SearchMethod=1&TocRestrict=n&Toc=&TocEntry=&QField=&QFieldYear=&QFieldMonth=&QFieldDay=&IntQFieldOp=0&ExtQFieldOp=0&XmlQuery=&File=D%3A%5Czyfiles%5CIndex%20Data%5C95thru99%5CTxt%5C00000034%5CP100IRWO.txt&User=ANONYMOUS&Password=anonymous&SortMethod=h%7C-&MaximumDocuments=1&FuzzyDegree=0&ImageQuality=r75g8/r75g8/x150y150g16/i425&Display=p%7Cf&DefSeekPage=x&SearchBack=ZyActionL&Back=ZyActionS&BackDesc=Results%20page&MaximumPages=1&ZyEntry=1&SeekPage=x&ZyPURL)

6) Takahashi K, Tanabe K, Ohnuki M, Narita M, Ichisaka T, Tomoda K, Yamanaka S. Induction of pluripotent stem cells from adult human fibroblasts by defined factors. Cell 131, 861-872 (2007)

7) Yamada S., Asanagi M., Hirata N, Itagaki H., Sekino Y., Kanda Y. Tributyltin induces mitochondrial fission through Mfn1 degradation in human induced pluripotent stem cells. Toxicol in Vitro 34, 257-263 (2016)

8) HESI 2015-2016 Activities Report: Translational Biomarkers of Neurotoxicity (NeuTox) (http://www.hesiglobal.org/wp-content/uploads/sites/11/2016/06/HESI_Activities_Report2016/files/assets/common/downloads/HESI%202015-2016%20Activities%20Report%20(final).pd)

(2016年9月1日 掲載)

日本薬学会 環境・衛生部会

pageの上へ戻るボタン