環境・衛生薬学トピックス

栄養代謝とがん

日本バイオアッセイ研究センター 試験管理部 武田知起

私たちのからだを構成する全ての細胞は、代謝と呼ばれる過程を通して生きるために必要なエネルギーや栄養のバランスを調節しています。代謝には、エネルギーを使ってビタミンや脂質および糖などの栄養物質を合成する過程と、逆にそれらを分解することで エネルギー を得る過程があります。そして、殆どの場合、各過程において酵素と呼ばれるタンパク質が働きます。従って、私たちの健康は代謝に関わる酵素の活性に左右されます。言い換えると、化学物質曝露などの環境要因によって酵素の働きが乱れた場合、エネルギーや栄養のバランスが崩れ、結果として体調不良や病気の原因となります。

がんの多くは、遺伝的要因に加えて、発がん物質の摂取やストレスなどの環境要因によって遺伝子の変異が蓄積することで起こります。このため、現在のがん研究では主に遺伝子異常に着目した取り組みが行われています。一方、がん細胞ではエネルギー代謝が変化することも古くから知られています1)。つまり、正常細胞では、主にミトコンドリアと呼ばれる小器官で酸素を使ったクエン酸回路によってエネルギーが作られますが、がん細胞では酸素の有無に関わらず解糖系と呼ばれる経路でも積極的に糖からエネルギーを作っています。そして、この糖代謝の亢進によって異常な細胞増殖や生存能を獲得しているのです。さらに、最近の研究から、ある種の酵素遺伝子の変異が、代謝を狂わせて異常な代謝物を作ることがわかってきました2)。具体的には、正常細胞では殆ど作られない異常な代謝物(2-ヒドロキシグルタル酸)が、イソクエン酸脱水素酵素というエネルギー代謝に関わる酵素遺伝子が変異したがん細胞で蓄積します。そして、これが代謝を阻害したりがん関連遺伝子の発現に影響を与えたりすることで発がんやがん細胞の増殖・悪性化へと繋がるというのです2,3)。がんと関連するこのような代謝物を総称してがん代謝物と呼びます。2-ヒドロキシグルタル酸の発見を契機として、がん代謝研究は再び注目されつつあります。これにより、エネルギー代謝物であるフマル酸やコハク酸などの新たながん代謝物が、がん細胞で増加してがん化に関わることが見出されています3)がん代謝物の生成を含めた代謝の変化は、代謝リプログラミング(注)と呼ばれ、がん細胞の重要な性質の一つと考えられています。がん細胞固有の代謝システムの変化は、エネルギーに止まらず、アミノ酸や脂質などの栄養代謝でも見られ、自身の生存を有利にしていることが報告されています4,5)。また、低栄養、低酸素および低血糖などの種々の環境要因による活性酸素の増加やエネルギーの低下が、がん細胞での代謝リプログラミングに関与することが指摘されています6)。しかし、これら代謝リプログラミングのメカニズムや意義にはまだまだ不明な点が多く、今後の研究が待たれる状況です。

 生体内には、教科書レベルの栄養代謝物が多く存在する一方で、病態時には2-ヒドロキシグルタル酸のように通常は見られない未知の代謝物が存在することが想像されます。このような代謝システムの変化を見落としのないように包括的に理解することは、病態の本質をつかむ上で重要であると考えられます。そこで最近注目されているのが、メタボロミクスと呼ばれる学問領域です。メタボロミクスは、生体内に存在するあらゆる代謝物を一斉に分析し、それぞれの構造を推定することができる学問であり、既に医療や毒性学の分野で応用されています。メタボロミクスでは、代謝物が存在する組織はもちろんですが、血液や体液・排泄物などにも適応できるため、疾患の原因にとどまらず、疾患のマーカーを見つける上でも有望です。がん研究への応用は、十分行われているとは言えませんが、最近になっていくつかのがん細胞において増殖や転移に関わる代謝やメカニズムの発見へと繋がっています7,8)。このように、がん代謝という新たな側面から研究を推進することで、遺伝子解析のみでは届かなかった新たな知見が創出されることが期待されます。メタボロミクスを通した研究の加速によって、近い将来、がん根治に向けた創薬や医療の構築へと繋がっていくかもしれません。


キーワード:代謝エネルギーがん代謝物メタボロミクス


【注釈】

代謝リプログラミング:細胞が外的ストレスなどの環境の変化に対して生存を維持できるように代謝システムを自在に変化させる仕組み。細胞の機能や増殖能が大きく変化する際にも生じる。


【参考資料・文献】

1) Warburg O. On the origin of cancer cells. Science 123: 309-314, 1956.

2) Dang L, White DW, Gross S, Bennett BD, Bittinger MA, Driggers EM, Fantin VR, Jang HG, Jin S, Keenan MC, Marks KM, Prins RM, Ward PS, Yen KE, Liau LM, Rabinowitz JD, Cantley LC, Thompson CB, Vander Heiden MG, Su SM. Cancer-associated IDH1 mutations produce 2-hydroxyglutarate. Nature 462: 739-744, 2009.

3) Adam J, Yang M, Soga T, Pollard PJ. Rare insights into cancer biology. Oncogene 33: 2547-2556, 2014

4) Hay N. Reprogramming glucose metabolism in cancer: can it be exploited for cancer therapy? Nat Rev Cancer 16: 635-649, 2016.

5) Locsale JW. Serine, glycine and one-carbon units: cancer metabolism in full circle. Nat Rev Cancer 13: 572-583, 2013.

6) Panieri E, Santoro MM. ROS homeostasis and metabolism: a dangerous liason in cancer cells. Cell Death Dis 7: e2253, 2016.

7) Drusian L, Nigro EA, Mannella V, Pagliarini R, Pema M, Costa ASH, Benigni F, Larcher A, Chiaravalli M, Gaude E, Montorsi F, Capitanio U, Musco G, Frezza C, Boletta A. mTORC1 upregulation leads to accumulation of the oncometabolite fumarate in a mouse model of renal cell carcinoma. Cell Rep 24: 1093-1104, 2018.

8) Satoh K, Yachida S, Sugimoto M, Oshima M, Nakagawa T, Akamoto S, Tabata S, Saitoh K, Kato K, Sato S, Igarashi K, Aizawa Y, Kajino-Sakamoto R, Kojima Y, Fujishita T, Enomoto A, Hirayama A, Ishikawa T, Taketo MM, Kushida Y, Haba R, Okano K, Tomita M, Suzuki Y, Fukuda S, Aoki M, Soga T. Global metabolic reprogramming of colorectal cancer occurs at adenoma stage and is induced by MYC. Proc Natl Acad Sci USA 114: E7697-E7706, 2017.



(2019年3月6日 掲載)

日本薬学会 環境・衛生部会

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