環境・衛生薬学トピックス

下水道と感染症の関係

北里大学薬学部 高根沢康一

 下水道は、私たちが健康で文化的な生活を営むためになくてはならないインフラの1つです。歴史を振り返ると、下水道は、衛生環境の改善による感染症の予防や対策として非常に重要な役割を果たしてきました。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)(注1)が世界中で流行している今、「下水道感染症の関係」の歴史と現在について、本稿で紹介します。
世界最古の下水道は今から約7,000年前のメソポタミア文明のチグリス・ユーフラテス川沿いのウル、バビロン、ニネヴェなどの都市につくられたものとされており、下水の処理は古くから重要であったことが伺えます。下水の処理問題が顕在化したのは、18世紀の初頭、英国で起こった産業革命の頃だと考えられています。急激な都市化と人口増加による下水の大量排出が、市街地の衛生環境を悪化させました。不衛生な土壌や水源は病原菌の温床となり、コレラ(注2)をはじめとする感染症が大流行しました。そこで、特に被害が深刻であったロンドンでは1855年、下水道工事が行われ、それまで直接河川に流していた下水を、下水道を通じて市街地より下流に流すようにしました。さらに、1914年には微生物を利用した下水処理法である活性汚泥法が開発され、今日と同じように下水をきれいに浄化してから河川などに流すことができるようになりました。一方、日本では、江戸から明治時代にかけて流行していたコレラ予防の観点から、ヨーロッパの先進都市が採用している下水道の着手に至り、1922年(大正11年)三河島汚水処分場喞筒場施設(現在の東京都三河島水再生センター)が隅田川中流に造られました。こうして大都市を中心に徐々に衛生環境が改善していき、感染症の発生や流行が抑えられました。

 現在、わが国の下水処理のほとんどが活性汚泥法(浮遊生物法)を採用しています。集水された下水は、まず、沈砂池と呼ばれる池に入り下水に含まれる大きなゴミや砂が取り除かれます。次に、第一沈殿池(最初沈殿池)で下水をゆっくり流し、沈砂池で沈まなかった小さなゴミや砂を沈殿させていきます。続いて、反応槽(エアレーションタンク)で下水に活性汚泥(注3)を混ぜて空気を送り込み、活性汚泥の塊を作らせます。続く第二沈殿池(最終沈殿池)では、反応槽でできた活性汚泥の塊を沈殿させ、上澄み(処理水)と汚泥に分離します。最後に、処理水を塩素接触槽(消毒施設)にて塩素消毒し、川や海に流します。また、処理水の一部は、大都市の水資源の確保や循環型社会(注4)の構築を目的として、ろ過処理やオゾン処理など高度な処理が施された後、トイレ用水、修景(注5)、ヒートポンプの熱源等に利用されています1)。流入する下水中には、我々が排出した様々な細菌やウイルスも含まれますが、上述した高度処理によってそのほとんどが不活化されます。

 COVID-19が全世界で猛威を振るっている中、COVID-19の流行地域や実態を的確に把握する情報源として下水疫学調査(注6)が注目を集めています。新型コロナウイルスは感染者の糞便中にも排出されることが明らかになっており、各家庭や医療施設等から集められた下水の中に新型コロナウイルスが含まれます。下水疫学調査では、地域毎にある下水処理施設に集められた下水の処理水あるいは活性汚泥に含まれる新型コロナウイルスを特殊な膜でろ過して検出可能な濃度に濃縮します。このような前処理をしたサンプル中の新型コロナウイルスのRNA(リボ核酸)の濃度を測定することによって、感染者数の変化を事前に予測できると考えられています 2,3)。米国のエール大学が、コネチカット州のニューヘブン下水処理場から下水汚泥を2020年3月19日から5月1日まで毎日採取し、新型コロナウイルスのRNA濃度とこの地域の感染者数や入院患者数の関係を調べたところ、下水汚泥中の新型コロナウイルスのRNA濃度は、新規の陽性者数に変動が起きる7日前に、また入院患者数が変動する3日前に増減することが分かりました4)。また、フランスのピューリッツァーセンターが行ったパリ市の下水調査から、下水中の新型コロナウイルスのRNA濃度が高まると陽性者が増加することが分かりました5)。日本では、山梨大学と北海道大学の研究グループが山梨県内の下水処理場において新型コロナウイルスRNAの検出に成功しています6)。この下水疫学調査では、人口10万人あたり4.4名の累計感染者数で検出されていることから、感染者数が比較的少ない地域においても新型コロナウイルスRNAを検出できることが報告されています。現在、日本水環境学会COVID-19タスクフォース(注7)が設置され7)、日本各地の下水サンプル中の新型コロナウイルス調査が行われているところであり、今後の解析が待たれます。現在のところ、下水処理場で検出された新型コロナウイルスRNAが感染力を有するウイルスに由来していたのかは明らかになっていません。また、下水処理場におけるCOVID-19の感染リスクについても低いと考えられますが不明です。一方、下水処理水は十分な濃度と接触時間による塩素消毒が施された後、河川等に放流されるため、放流水からの感染リスクは低いと考えられます。

 先人たちが整備した下水道は都市の公衆衛生を維持し、感染症の予防や防止に貢献してきました。また、雨水を排除し浸水を防ぐ役割も同時に果たしており、都市の危機管理を支えています。新型コロナウイルス感染症の予防や防止に対する下水道の寄与はまだ未知数ですが、下水道区域ごとの感染症の兆候や広がりを把握する情報源として、新たな下水道の役割が期待されています。下水から届く感染症の情報を迅速に活用した感染症予測システムが身近なものになる日はすぐにやってくるのかもしれません。

キーワード:下水(道)感染症

【注釈】
(注1)新型コロナウイルス感染症(COVID-19):新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)が野生動物からヒトに伝播したことが原因とされている。SARS-CoV-2はMARS(中東呼吸器症候群)、SARS(重症急性呼吸器症候群)の原因となったコロナウイルスと同族。深刻な呼吸器障害を引き起こす。
(注2)コレラ:コレラ菌(Vibrio cholerae)を原因とする水媒介性の急性消化器感染症で、極めて重症になることもある。感染経路はコレラ菌で汚染された水や食物の摂取である。衛生環境が整っておらず、安全な水が供給されていない地域で発生しやすい。
(注3)活性汚泥:微生物を大量に含む汚泥のこと。反応槽にはたくさんの微生物(ツリガネムシ、アメーバ、アルセラ、クマムシ、スピロストーマムなど)が存在している。空気を送り込むと微生物の活動が活発になり、下水中の有機物を分解する。細かい汚れは微生物に付着して、沈みやすい塊になる。
(注4)循環型社会:有限である天然資源の消費を抑制し、環境への負荷をできる限り低減させ、持続可能な形で循環させながら利用していく社会のこと。
(注5)修景:自然の美しさを損なわないように風景を整備すること。下水処理水を地域の公園等の噴水や人口の滝、ディスプレイ水など水環境の創造に用いられている。
(注6)下水疫学調査:下水道で集められる下水を調べる下水疫学(Wastewater-based Epidemiology)のことで、伝染病などの流行の実態を把握しようとする調査。
(注7)日本水環境学会COVID-19タスクフォース:下水および水環境中の新型コロナウイルスの検出・除去・リスク管理に関する国内外の情報収集および発信を目的として日本水環境学会が2020年5月5日に設立。

            

【参考資料・文献】
1) 国立環境研究所ホームページ 環境技術解説 雨水・再生水利用 https://tenbou.nies.go.jp/science/description/detail.php?id=49

2) Daughton, C.G., Wastewater surveillance for population-wide Covid-19: The present and future. Science of The Total Environment 736,doi:10.1016/j.scitotenv.2020.139631 (2020).

3) Randazzo, W. et al., SARS-CoV-2 RNA in wastewater anticipated COVID-19 occurrence in a low prevalence area. Water Research 181, doi:10.1016/j.watres.2020.115942 (2020).

4) Peccia, J. et al., Measurement of SARS-CoV-2 RNA in wastewater tracks community infection dynamics. Nature Biotechnology 38, 1164-1167, doi:10.1038/s41587-020-0684-z (2020).

5) Harries, A.D., dar Berger, S., Satyanarayana, S., Thekkur, P. & Kumar, A.M.V., Testing wastewater to detect severe acute respiratory syndrome coronavirus 2 in communities. Transactions of The Royal Society of Tropical Medicine and Hygiene 114, 782-783, doi:10.1093/trstmh/traa066 (2020).

6) Haramoto, E., Malla, B., Thakali, O. & Kitajima, M., First environmental surveillance for the presence of SARS-CoV-2 RNA in wastewater and river water in Japan. The Science of the total environment 737, 140405, doi:10.1016/j.scitotenv.2020.140405 (2020).

7) 日本水環境学会COVID-19ホームページ https://www.jswe.or.jp/aboutus/covid19.html

(2021年3月1日 掲載)

日本薬学会 環境・衛生部会

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