環境・衛生薬学トピックス
環境因子とエピジェネティクス
がん、糖尿病、心血管疾患、神経変性疾患などの慢性疾患においては、特定の疾患原因遺伝子の先天的な変異などに代表されるようなゲノムが直接的に関与する場合もありますが、生涯に受ける外的環境要因の影響が大部分を占めると考えられます。外的環境要因には環境化学物質、食品、薬剤、感染などが想定されます。このような外的環境要因から、どのような機序で慢性疾患などへの健康影響に繋がるかは分かっていません。その機序を説明するための1つの概念として、エピジェネティクスがあります。
エピジェネティクスとは、DNA塩基配列の変化を伴わない遺伝子発現調節の仕組み、またはそれを追求する学問と定義されます。例えば、肝細胞と神経細胞はそれぞれ体の中での役割は全く違いますが、それぞれの細胞が持っているDNAの塩基配列の情報は同じです。なぜ、同じ遺伝子配列を持っているのに細胞種によって機能が違うのか、それを説明するのがエピジェネティクスです。どの細胞も同じように持っている遺伝子情報について、必要な部分のみを読み出す、または読まれないように鍵を掛けるなどのことを、細胞種ごとに情報を取捨選択することで、多種多様な細胞の機能を維持する仕組みをエピジェネティクスと呼びます。実際はDNAメチル化とヒストン修飾(メチル化、アセチル化)という、DNAやタンパク質への化学修飾がエピジェネティクス制御の中心となり、DNA上の遺伝子情報利用の管理が行われています。
環境化学物質や栄養などの外的環境因子の長期的な曝露は、このようなエピジェネティクス制御を変化させる可能性があります。その代表的な例ががんであり、日常的な環境因子の複合曝露によるDNAメチル化変化の蓄積、さらにはヒストン修飾の異常も原因の1つとして考えられています1)。そのため、がん治療のターゲットの1つとして、現在では、DNAメチル化やヒストン修飾を担う酵素群を標的とした治療薬が開発されています2)。また、糖尿病、神経変性疾患などでもエピジェネティクスの関与が示唆されており 3)、これらの疾患でも、エピジェネティクスを基盤とした創薬が展開される可能性があります。
また、環境要因によるエピジェネティクス変化が健康影響を及ぼすのは、出生後だけではありません。出生前の胎生期の環境影響がエピジェネティクス変化を介して、出生後の健康影響や疾患発症のリスクとなることが示唆されています4)。胎生期は生涯において個体のエピジェネティクスが大きく変化する時期です。胎生期の低栄養による低体重児は出生後の生活習慣病の発症リスクが高まることがよく知られています 5, 6)。その他の環境要因としては、日常的な環境化学物質曝露が想定されます。胎生期における幾つかの環境化学物質曝露が、成人期の健康に影響を及ぼす可能性が示唆されています 7, 8)。 しかしながら、実際は出生後においても、様々な環境化学物質曝露も含め、栄養状態など様々な影響のリスクが、例えばエピジェネティクス修飾として蓄積し、積み重なることで、慢性疾患が起きると考えられます。現在、生涯における環境要因の曝露の総体を「エクスポソーム」という概念で捉えることが提唱されています9)。実際の疾患におけるエピジェネティクス変化は、エクスポソームによる影響の一面を反映していると考えられます10)。
今後、様々な複合的な環境曝露による個体の全遺伝子のエピジェネティクス変化、および疾患への関連性の知見が蓄積し、各疾患においてリスクとなる環境要因を予測し回避することできれば、将来、より健康的な生活を営むことができるかもしれません。
キーワード:エピジェネティクス、環境要因、環境化学物質
【参考資料・文献】
1)Oleksiewicz, U.; Machnik, M. Causes, effects, and clinical implications of perturbed patterns within the cancer epigenome. Semin Cancer Biol, doi:10.1016/j.semcancer.2020.12.014 (2020).
2) Jin, N.; George, T. L.; Otterson, G. A.; Verschraegen, C.; Wen, H.; Carbone, D.; Herman, J.; Bertino, E. M.; He, K. Advances in epigenetic therapeutics with focus on solid tumors. Clin Epigenetics, 13(1), 83, doi:10.1186/s13148-021-01069-7 (2021).
3) Saul, D.; Kosinsky, R. L. Epigenetics of aging and aging-associated diseases. Int J Mol Sci, 22(1), 401, doi:10.3390/ijms22010401 (2021).
4) Noel, W. S. Developmental origins of health and disease: concepts, caveats, and consequences for public health nutrition. Nutrition Reviews, 67(s1), S12-S16, doi:10.1111/j.1753-4887.2009.00152.x. (2009).
5) Barker, D. J.; Osmond, C.; Golding, J.; Kuh, D.; Wadsworth, M. E. Growth in utero, blood pressure in childhood and adult life, and mortality from cardiovascular disease. BMJ, 298(6673), 564-567, doi: 10.1136/bmj.298.6673.564 (1989).
6) Dover, G. J. The Barker hypothesis: how pediatricans will diagnose and prevent common adult-onset diseases. Trans Am Clin Climatol Assoc, 120, 199-207 (2009).
7)Tran, N. Q. V.; Miyake, K. Neurodevelopmental disorders and environmental toxicants: Epigenetics as an underlying mechanism. Int J Genomics, 2017, 7526592, doi:10.1155/2017/7526592 (2017).
8) Heindel, J. J. The developmental basis of disease: Update on environmental exposures and animal models. Basic Clin Pharmacol Toxicol, 125 Suppl 3, 5-13, doi:10.1111/bcpt.13118 (2019).
9) Vermeulen, R.; Schymanski, E. L.; Barabasi, A. L.; Miller, G. W. The exposome and health: Where chemistry meets biology. Science, 367(6476), 392-396, doi:10.1126/science.aay3164 (2020)..
10) Thakur, I. S.; Roy, D. Environmental DNA and RNA as records of human exposome, including biotic/abiotic exposures and its implications in the assessment of the role of environment in chronic diseases. Int J Mol Sci, 21(14), 4879, doi:10.3390/ijms21144879 (2020).
日本薬学会 環境・衛生部会