環境・衛生薬学トピックス
海外における大規模な健康・栄養調査とその活用例
日本人の身体情報や食事摂取状況に関しては、厚生労働省が5年に一度、「日本人の食事摂取基準1)」を報告しています。同基準は、国民の健康の維持・増進、生活習慣病の予防、各栄養素・エネルギーの過剰摂取あるいは欠乏による健康障害の予防を目的としており、各栄養素・エネルギーの摂取量の推移、それらの摂取基準、および摂取量と生活習慣病(高血圧症、脂質異常症、糖尿病、慢性腎臓病など)との関連も報告されています。最新の2020年版では、策定の目的に高齢者の低栄養・フレイル(注1)の予防に関する記述などが追加されました。このような国民を代表する値は、現時点での日本国民の健康状態を把握することができ、またそれらのデータを活用して疾患のリスクを評価することは、我々の健康の維持・増進や疾病の予防を図るために重要な活動になります。
もちろん、諸外国においても同様の健康・栄養調査が実施されています。例えば、アメリカでは疾病予防対策センター(Centers for Disease Control and Prevention: CDC)が実施している米国全国国民健康・栄養調査(National Health and Nutrition Examination Survey: NHANES)2)があります。欧州ではドイツやイギリス、アジアでは韓国や中国、その他にもオーストラリアやカナダなどの先進諸国では継続的に実施されています。各国の調査方法に関しては、越田らの報告3)によって詳細に比較・解説されています。
このような大規模調査の結果は、二次利用が認められている場合もあり、これらのデータを活用して、国民の健康・栄養状態と疾患との関連を調査した報告も数多くあります。アメリカのNHANES(1999〜2006年)のデータを活用したGengらの報告4)を紹介します。ここでは、被験者25,781人(平均年齢45.4 ± 12.2歳)について、食事の内容から食事性炎症指数(Dietary Inflammatory Index: DII(注2))を算出して、サルコペニア(注3)との関連を解析しています。被験者をDII低値群(-5.18〜1.20)、中程度群(1.20〜2.92)、高値群(2.92〜5.71)に区分けすると、高値群が最もサルコペニアの割合が高いことがわかりました。サルコペニアの予防には運動・トレーニングが重要ですが、食物繊維やビタミンD、ポリフェノールなどのDII値の低い栄養素を含む食品を摂取することも、慢性的な炎症を抑え、サルコペニア発症のリスクを低減することが示唆されます。
一方、NHANESでは、ヒトの健康に悪影響を及ぼす危険性のある300種を超える化学物質についても調査が行われています。NHANES (1988〜1994年)のデータを活用して鉛の曝露と心血管疾患の死亡率の関係を解析した報告5)を紹介します。ここでは、被験者14,289人について、2011年末まで死亡の有無およびその原因を追跡調査したところ、低濃度(5 μg/dL以下(注4))であっても鉛の曝露量の増加が心血管疾患による死亡率の増加と関係することが示唆されています。さらに、もしアメリカ国民が鉛に曝露されなければ、アメリカ国民の心血管疾患による死亡数は年間で約30%(約26万人)減少するであろうと算出されています。本調査では、被験者の約90%の血液中から1 μg/dL以上の鉛が検出されたことから、アメリカ国民のほとんどが微量なりとも鉛に曝露されていると考えられ、この低濃度の鉛曝露が心血管疾患による死亡リスクを増大させていることが示唆されました。喫煙も、心血管疾患による死亡の高いリスク因子ですが、その対象は喫煙者とその周囲のみであり、喫煙者はアメリカ国民全体の約20%程度です。すなわち、鉛の曝露は喫煙と比較して広範囲な集団にリスクがあり、本論文でも、集団としては鉛の曝露は喫煙と比較して心血管疾患による死亡のリスクが高い因子であることが示唆されています。一方で、本調査で示された血液中の鉛濃度の測定はある1時点のみで限定的であることから、今後も測定を継続する必要があることが述べられています。
本稿では、NHANESのデータを活用した例を紹介しました。諸外国における大規模な健康・栄養調査の結果は、日本にも有益な知見をもたらします。しかしながら、アメリカと日本では背景(生活環境、ライフスタイル、人種構成など)が異なりますので、これら知見がそのまま日本で活用できるとは限りません。日本国民を代表する値を得るためには、日本での実態を把握することが重要であり、今後もこのような大規模な健康・栄養調査が継続実施される必要があります。さらに、化学物質の曝露に関しても国民を代表する値を得る大規模調査が必要かもしれません。環境省によって、環境要因が子どもの成長・発達に与える影響を調査したエコチル調査6)などが実施されましたが、その対象は限定的です。一方で、このような疫学調査研究のみでは、物質と疾患の因果関係を明らかにすることは困難ですので、動物や培養細胞を用いた基礎研究および臨床研究による知見も併せて考察する必要があることを申し添えておきます。
キーワード:健康・栄養調査、National Health and Nutrition Examination Survey(NHANES)、心血管疾患
【注釈】
(注1)フレイル:加齢によって多くの生理機能が累積的に減退した状態のことを指します。フレイルは、食事量の低下による栄養不足、認知機能の低下によって進行し、疾患に罹りやすくなったり、転倒などによって怪我をしやすい状態です。
(注2)食事性炎症指数(Dietary Inflammatory Index: DII):食事が体内の炎症反応に及ぼす影響を総合的に評価する指標です。食品中の各栄養素をスコア化し、その合計のDII値が正であると炎症反応を促進する食事であると評価され、一方負であると炎症を抑制する食事であると評価されます。
DIIの高い栄養素の例:トランス脂肪酸、飽和脂肪、コレステロール、炭水化物
DIIの低い栄養素の例:食物繊維、ビタミンDなどのビタミン群、ポリフェノール類
(注3):サルコペニア:加齢に伴い筋肉量が減少して、筋力や身体機能が低下している状態のことを指します。フレイルとも密接に関連しており、サルコペニアがフレイルの引き金にもなります。
(注4)鉛の血中濃度:一般的な鉛の血中濃度は、1〜3 μg/dLであるとされています。
【参考資料・文献】
1) 厚生労働省 日本人の食事摂取基準
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/kenkou/eiyou/syokuji_kijyun.html
2) National Health and Nutrition Examination Survey(NHANES)
https://www.cdc.gov/nchs/nhanes/index.htm
3) 越田 詠美子, 岡田 知佳, 岡田 恵美子, 松本 麻衣, 村井 詩子, 瀧本 秀美.日本と諸外国における国を代表する栄養調査の比較. 栄養学雑誌 77, 183-192, doi.org/10.5264/eiyogakuzashi.77.183 (2019)
4) Geng J, Deng L, Qiu S, Bian H, Cai B, Jin K, Zheng X, Li J, Liao X, Li Y, Li J, Qin Z, Cao Z, Bao Y, Su B. Dietary inflammatory potential and risk of sarcopenia: data from national health and nutrition examination surveys. Aging. 13, 1913-1928, doi.org/10.18632/aging.202141 (2020).
5) Lanphear BP, Rauch S, Auinger P, Allen RW, Hornung RW. Low-level lead exposure and mortality in US adults: a population-based cohort study. Lancet Public Health. 3, e177-e184, doi.org/10.1016/S2468-2667(18)30025-2 (2018).
6) 環境省ホームページ エコチル調査
https://www.env.go.jp/chemi/ceh/
日本薬学会 環境・衛生部会