環境・衛生薬学トピックス

匂いのしくみと、その感受性の変化について

広島大学 大学院医系科学研究科 大黒亜美

 私は樟脳(クスノキから抽出された天然由来の防虫剤)の香りを嗅ぐと、幼少期に行っていた祖母の家を思い出し、懐かしい気持ちになります。このように香りによって記憶や感情が呼び起こされる現象は、フランスの作家マルセル・プルーストの名前から「プルースト効果」と呼ばれています。これは、彼の小説「失われた時を求めて」のなかで、主人公が紅茶に浸したマドレーヌの香りに触れた瞬間、昔マドレーヌを叔母からすすめられた記憶と共に幸せな感情が込み上げてきたことに由来するそうです。このように嗅覚機能は、日々の食事の楽しみや危険の察知のみならず、記憶や情動と深く結びついており、人生を豊かにしてくれる重要な感覚機能です。実際に嗅覚機能が失われると、うつ様の症状を示しやすいことも知られています1)

 匂いを感じるしくみについては、近年研究が進んでいます。空気中を漂う匂い物質は化学物質であり、それが鼻腔内の表面(嗅上皮)に発現している嗅覚受容体に結合します。その嗅覚情報が脳の中の嗅球を通じて嗅皮質へと伝達され、扁桃体や海馬へと伝えられることで、情動や記憶と結びつきます。嗅覚受容体(olfactory receptor(OR)遺伝子)は、アメリカのバックとアクセルにより1991年に同定され2)、2004年に二人はこの功績によりノーベル賞を授与されています。嗅覚受容体はヒトでは約400種類存在し、活性化される受容体の組み合わせにより多様な匂いを嗅ぎ分けることができます3)
 嗅覚機能には個人差があることが特徴です。その一部は、この嗅覚受容体で説明できることがわかっています。例えば、アスパラガスを食べた後に尿が臭くなると感じる人と、そうは感じない人がいることが知られています。この尿の臭いの変化は、アスパラガスの摂取によって体内で生じるメタンチオール4) やS-メチルチオエステル5) などの代謝物が原因であると言われています。臭いの変化を感じない人は、これらの代謝物が体内で生成していないわけではありませんでした。これらの臭いを感じるための遺伝子の配列に差異(正確には嗅覚受容体(OR2M7)の遺伝子近傍の一塩基多型(rs4481887))があることにより、特定の匂いの感じやすさ(感受性)に個人差があったのです6)
 一方で、最近では香水や柔軟剤に含まれる香り成分によって、頭痛や不快感などが引き起こされる「香害」が問題となっています。しかし、そのメカニズムは解明されておらず、この患者の多くで観察される嗅覚過敏や匂い物質に対する感受性の変化個人差がどのように生まれているのかは未解明のままです。

 また嗅覚は疾患と深く関わることも知られています。パーキンソン病やレビー小体型認知症では、α-シヌクレインの凝集が最初に観察される部位の一つが嗅球であり、その後、嗅球から嗅覚系経路に沿って神経細胞間で伝達されていく経路が存在することが報告されています7,8)。実際にこれらの患者は疾患の初期段階から嗅覚障害が認められることが知られています9)。さらに、嗅覚障害は最近、新型コロナウイルス感染の症状の一つとしても注目されています。多くの患者は感染後1-2週間で嗅覚障害が回復する一方で、人によっては感染から半年たっても障害が続くことがわかっていますが10)、その障害メカニズムは不明です。嗅上皮の嗅細胞は障害されても1-2カ月で新しい細胞に生まれ変わることが知られています。従って、感染後の短期間で回復、長期間における嗅覚障害のいずれの症状においても、ウイルスによる嗅神経障害だけでは説明できず、ウイルスによる嗅上皮に存在する支持細胞(嗅神経をサポートする役割を持つ)への影響や、ボウマン腺細胞への作用による嗅粘液(匂い物質を嗅覚受容体に結合しやすくするために鼻腔に留める役割)の分泌低下などが関わっている可能性も示唆されています11)
 嗅覚機能の変化や個人差のさらなる解明は、このようなまだ未解明である嗅覚の疑問の解決に繋がることが期待されます。


キーワード: 嗅覚機能個人差感受性の変化嗅覚過敏嗅覚障害

【参考資料・文献】

1)Kelly, J. P., Wrynn, A. S., and Leonard, B. E., The olfactory bulbectomized rat as a model of depression: an update. Pharmacol Ther 74, 299-316 doi: 10.1016/s0163-7258(97)00004-1 (1997).

2) Buck, L., and Axel, R., A novel multigene family may encode odorant receptors: a molecular basis for odor recognition. Cell 65, 175-187 doi: 10.1016/0092-8674(91)90418-x (1991).

3) Malnic, B., Hirono, J., Sato, T., and Buck, L. B., Combinatorial receptor codes for odors. Cell 96, 713-723 doi: 10.1016/s0092-8674(00)80581-4 (1999).

4) Nencki, M., Ueber das Vorkommen von Methylmercaptan im menschlichen Harn nach Spargelgenuss. Archiv f. experiment. Pathol. u. Pharmakol 28, 206-209 doi.org/10.1007/BF01824333 (1891).

5) White, R. H., Occurrence of S-methyl thioesters in urines of humans after they have eaten asparagus. Science 189, 810-811 doi: 10.1126/science.1162354 (1975).

6) Eriksson, N., Macpherson, J. M., Tung, J. Y., Hon, L. S., Naughton, B., Saxonov, S., Avey, L., Wojcicki, A., Pe'er, I., and Mountain, J., Web-based, participant-driven studies yield novel genetic associations for common traits. PLoS Genet 6, e1000993 doi: 10.1371/journal.pgen.1000993 (2010).

7) Sengoku, R., Saito, Y., Ikemura, M., Hatsuta, H., Sakiyama, Y., Kanemaru, K., Arai, T., Sawabe, M., Tanaka, N., Mochizuki, H., Inoue, K., and Murayama, S., Incidence and extent of Lewy body-related alpha-synucleinopathy in aging human olfactory bulb. J Neuropathol Exp Neurol 67, 1072-1083 doi: 10.1097/NEN.0b013e31818b4126 (2008).

8) Rey, N. L., Steiner, J. A., Maroof, N., Luk, K. C., Madaj, Z., Trojanowski, J. Q., Lee, V. M., and Brundin, P., Widespread transneuronal propagation of alpha-synucleinopathy triggered in olfactory bulb mimics prodromal Parkinson's disease. J Exp Med 213, 1759-1778 doi: 10.1084/jem.20160368 (2016).

9) Doty, R. L., Olfactory dysfunction in Parkinson disease. Nat Rev Neurol 8, 329-339 doi: 10.1038/nrneurol.2012.80 (2012).

10) Petrocelli, M., Cutrupi, S., Salzano, G., Maglitto, F., Salzano, F. A., Lechien, J. R., Saussez, S., Boscolo-Rizzo, P., De Riu, G., and Vaira, L. A., Six-month smell and taste recovery rates in coronavirus disease 2019 patients: a prospective psychophysical study. J Laryngol Otol 135, 436-441 doi: 10.1017/S002221512100116X (2021).

11) Butowt, R., Bilinska, K., and von Bartheld, C. S., Olfactory dysfunction in COVID-19: new insights into the underlying mechanisms. Trends Neurosci 46, 75-90 doi: 10.1016/j.tins.2022.11.003 (2023).

(2023年3月1日 掲載)

日本薬学会 環境・衛生部会

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