環境・衛生薬学トピックス
妊娠期のヨウ素摂取と子どもの脳発達 ―海藻食文化が支える日本のヨウ素栄養―
ヨウ素は、甲状腺ホルモンをつくるために必要な栄養素です。甲状腺ホルモンには、サイロキシン(T4)とトリヨードサイロニン(T3)の2種類があり、それぞれ分子の中にヨウ素を4個、3個含みます。甲状腺では主に生理活性が比較的弱いT4がつくられ、その後T4は体内のさまざまな組織で生理活性の強いT3に変換されて、細胞内の甲状腺ホルモン受容体を介して生命の維持に関わる多様な生理機能を調節しています。妊娠初期の胎児は、自分で十分な甲状腺ホルモンを合成できないため、その機能は母親から供給されるT4に大きく依存しています1)。甲状腺ホルモンは脳の神経細胞の分化や成熟を促進する役割を担っていることから、胎児や出生後の子どもの脳の発達に必要不可欠です。そのため、妊娠期にヨウ素が欠乏すると、胎児に十分な甲状腺ホルモンが供給されず、脳の発達に悪影響を及ぼす可能性があります。実際に、ヨウ素欠乏状態にある母親から生まれた子どもでは、言語能力などの脳認知機能が低い傾向にあることが疫学調査で報告されています2)。
ヨウ素は、昆布などの海藻類に多く含まれています。日本ではヨウ素含有量の高い昆布のだしをはじめとする海藻類摂取の食文化があるため、日本人は世界的にみてヨウ素摂取量の多い集団です。厚生労働省の「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、成人のヨウ素推奨量は140 μg/日、妊婦では250 μg/日とされています3)。一方、日本人の実際のヨウ素摂取量は、海藻類を含む献立かどうかで大きく変わりますが、平均で1~3 mg/日程度と推定されており、推奨量を大きく上回っています。このような食文化を背景として、日本人は良好なヨウ素栄養状態にあり、通常の食生活ではヨウ素不足が生じる可能性は低いと考えられています。
世界に目を向けると、日本のように海藻類を日常的に食べる地域は少なく、海藻類摂取の食文化がない地域では、農作物などが主なヨウ素摂取源となっています。そのため、土壌中のヨウ素含有量が低い地域では、農作物中のヨウ素も少なくなり、住民のヨウ素欠乏症につながります。かつてヨウ素欠乏症は世界的な公衆衛生上の問題であり、1990年代には少なくとも110か国でヨウ素欠乏の問題を抱えていました4)。前述の通り、妊娠期のヨウ素欠乏症は子どもの脳の発達に深刻な悪影響を与えますが、ヨウ素を必要量摂取することで、ヨウ素欠乏症に起因する子どもの脳発達異常を防ぐことが可能です。WHOも、ヨウ素欠乏症を「予防可能な脳障害の主要な原因の1つ」として位置付けています。こうした背景から、近年では多くの国々で食塩へのヨウ素添加(Universal Salt Iodization: USI)が導入され、2020年代において世界人口の約90%近くがヨウ素添加塩を利用していると推定されています5)。USIの普及により、世界のヨウ素栄養状態は大きく改善しており、2025年時点でヨウ素不足状態にある国は23か国まで減少しました6)。一方、妊娠中はヨウ素必要量が増加することから、WHOでは妊婦に対して一般成人より高いヨウ素摂取の推奨量や尿中ヨウ素濃度の基準値を設定しています。これらのうち、尿中ヨウ素濃度の基準値を用いた評価では、欧州の一部の国の妊婦は軽度から中等度のヨウ素欠乏状態にあることが報告されています7)。したがって、一般集団におけるヨウ素栄養状態が改善した現在でも、一部の国では依然として妊婦のヨウ素不足が懸念されています。
日本では海藻類から比較的多くのヨウ素を摂取しているため、USIは実施されていません。一方で、ヨウ素の過剰摂取も甲状腺機能を阻害して健康影響を引き起こす可能性があります。日本でのヨウ素過剰摂取の例として、昆布だしから28 mg/日以上のヨウ素を毎日約1年間摂取し、甲状腺機能異常を生じた事例が報告されています8)。この事例での摂取量は、日本人の平均ヨウ素摂取量(1~3 mg/日程度)を大幅に上回るものであり、通常の食生活において海藻類の摂取によるヨウ素過剰摂取で健康影響が生じることは極めて稀であると考えられます。ただし、特に妊娠中の女性では甲状腺機能異常が胎児の脳発達に影響を及ぼす可能性があるため、ヨウ素不足のみならずヨウ素過剰摂取にも注意することが重要です。
近年は食生活の多様化により、日本における海藻類の摂取量はピーク時と比べて減少していますが9)、それでも世界的にみると良好なヨウ素栄養状態を維持していると考えられます。世界では依然としてヨウ素欠乏が公衆衛生上の課題となっている地域が存在することを考慮すると、日本の海藻食文化はヨウ素栄養を支える重要な食文化の1つであるといえます。食生活の多様化が進む現代だからこそ、海藻食文化をはじめとする日本の伝統的な食生活が果たしてきた栄養学的な役割について、改めて見つめ直すことが必要かもしれません。
キーワード: ヨウ素、甲状腺、海藻
【参考資料・文献】
1) Korevaar, T.I.M., Medici, M., Visser, T.J., Peeters, R.P. Thyroid disease in pregnancy: new insights in diagnosis and clinical management. Nat Rev Endocrinol 13, 610-622, doi:10.1038/nrendo.2017.93 (2017).
2) Bath, S.C., Steer, C.D., Golding, J., Emmett, P., Rayman, M.P. Effect of inadequate iodine status in UK pregnant women on cognitive outcomes in their children: results from the Avon Longitudinal Study of Parents and Children (ALSPAC). Lancet 382, 331-337, doi:10.1016/S0140-6736(13)60436-5 (2013).
3) 厚生労働省 「日本人の食事摂取基準」(2025年版)Available at: https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/kenkou/eiyou/syokuji_kijyun.html (Accessed on 7 July 2026)
4) World Health Organization. Global prevalence of iodine deficiency disorders. MDIS Working Paper No. 1. Geneva: World Health Organization (1993). Available at: https://iris.who.int/items/988556c7-745b-4df2-b0a1-c405abb547ae (Accessed on 7 July 2026)
5) UNICEF. Iodine. Available at: https://data.unicef.org/topic/nutrition/iodine/ (Accessed on 7 July 2026)
6) Iodine Global Network. Global scorecard of iodine nutrition in 2025 in the general population based on school-age children (SAC). Ottawa, Canada: Iodine Global Network (2025). Available at: https://ign.org/scorecard/ (Accessed on 7 July 2026)
7) Kelliher, L., Kiely, M.E., Browne, J.R.-M., O'Callaghan, Y.C., Hennessy, A. Mild-to-moderate iodine deficiency among pregnant women in Ireland: data from a large prospective pregnancy cohort. Eur J Nutr 64, 173, doi:10.1007/s00394-025-03692-z (2025).
8) Ishizuki, Y., Yamauchi, K., Miura, Y. Transient thyrotoxicosis induced by Japanese kombu. Nihon Naibunpi Gakkai Zasshi 65, 91-98 (1989).
9) 国立健康・栄養研究所. 食品群別摂取量. Available at: https://www.nibn.go.jp/eiken/kenkounippon21/eiyouchousa/keinen_henka_syokuhin.html. (Accessed on 7 July 2026)
日本薬学会 環境・衛生部会

